プロローグ
1991年7月15日

 冷たいものを、感じた。
殺意ある刃だと理解したとき、それは鋭い痛みへと変わった。

 目の前には、黒いレインコートの男が立っていた。
フードで目元が隠れていても、その鋭い眼光を感じるほど殺気を放っている。

 二人とも、動かない。
不意に受けた左手の切創から、生温かい血が流れだし、雨に薄められながら濡れた芝生にしたたり落ちる。

 すぐさま気を巡らせたが、身を守るものはない。
右手にシングルハンド・ストラップで掴んでいる、一眼レフカメラがあるだけだった。

とっさに、親指がカメラの電源を押し上げた。
同時に、男も刃物を突き出して踏み出した!

迷いはなかった。
人差し指でシャッターボタンを押し込みながら、男に突進した!
毎秒14コマの高速連写が唸り、軽快なシャッター音を出し続ける。
グリップ・バッテリーを装着した、重さ2キロを超えるカメラが、衝突と同時に男の頭部をとらえた!

1st
【The Journalist】2020.9.1 主治医

 記念式典を前日に控え、多くのメディアが集まっていた。

 朝比奈総合病院は、今年新たに眼科、心療内科、腫瘍内科及び外科が加わり、病棟もさらに大きく拡張された。 十階建ての新しい建屋を加えれば、両翼200メートル以上になり、5ヘクタールを超える敷地内には、総合福祉施設や高度救命救急センター、看護師専門学校までが隣接する。
見た目にも、まさに地域のシンボル的な総合医療センターへと、大きく発展していた。

 30年ほど前に、この街で小さな診療所を開業させた朝比奈院長は、人の助けになればと、 診療の合間には高齢患者からの相談や世話事、スポーツを通じた青少年への育成活動など、意欲的に地域への奉仕を行ってきた。
当時、診療所はいつも患者で溢れ、今もなお地域住民からの厚い信頼を得ていた。

 指導医をしていた自分のもとに、朝比奈が臨床研修医として来ることになったのは、大学病院にいたころのことだった。 研修は二年ほどで終わったが、既に朝比奈は天才的な外科医の片鱗を示していた。
特に、脳神経外科分野については群を抜いていたと、今でもはっきり覚えている。

 その時は、間違いなく外科の道に進むと思っていたが、朝比奈が選択した道は、内科医だった。
将来、外科と内科を融合し、如何にして手術をしないで治癒させるか、そんな医療を目指したいと、彼はそう言って私のもとを去ったのだった。

 事前説明会に来た記者と思しき人々が、慌ただしく視界を横切っていく。そして、プレオープンされた新病棟の取材に、地元メディアの記者も大勢集まっていた。

 この都市は、今年の政令都市指定65周年記念にあわせるように、スーパー特区にも指定された。
それにより、今後長きにわたって、再生医療や医薬品、最先端医療機器開発の中核を担っていくことになる。その記念式典が明日、この新病棟で執り行われ、各界の著名人も多く出席する。

 朝比奈もまた、その重要な役割を担う立場の医師として、共同開発や研究分野にも躍進していくことになるのだろう。
 焦りなど、あろうはずがない。
七十の終わりに近づく自分に、今更なにができるというのだ。 この病院が大きくなるたびに、志を失い続ける苦痛に耐えてきただけだった。 教え子だった朝比奈の活躍を横目に、自身の存在意義を探してみても、遠い過去に置き去りにしてきた、あの破綻した研究が思い返されるだけだ。

 医師として生き続けることをやめ、志が底をついたとき、既に苦痛は消えているはずだった。 しかし、いまだ私を苦しめる存在がただ一つ、ここにある。 それを“摘出”しない限り、お前の成功を、心から祝ってやることはできない!

 大勢の記者やカメラマンが、視界を横切るように目的の場所へと駆けていた。 そして、古いカメラを手にした記者の男がひとり、駆け行く記者の流れの中に立ち止まって、自分を見ていることに気が付いた。


“久しぶりだな”


その不思議な声は、頭の中に響いていた。

1st【The Journalist】終

2nd
【少女の招く部屋】
2015.11.25 記者

 美しいベイサイドエリアに佇むこの洋館だけは、明らかに辺りの街並みに溶け込めていなかった。どこも古くくたびれ、長らく使われた形跡が感じられない。

 庭木は、世間を隔絶させるように生い茂り、中の様子は容易に見通すことができないでいた。
時折、隣接する別の家屋も視界に捉えながら歩いてみたが、どこにでもある住宅街の景色に思えただけだった…この洋館を除いては。

 敷地を囲うグランジレンガの高い塀に沿うように、この洋館の周囲を半周程したところで、ようやく錆びた鉄柵と敷地内へのアプローチを見つけた。

 草木が生い茂っていたが、近隣の住宅にはない広大な庭が広がっているのが見えた。
朽ちたラタンと思しきガーデニングソファーが、ひと気のなさを醸し出している。
少し頭を下げるようにして、テラコッタのピロティを窺えば、海風によって吹き込まれた枯れ葉が堆積し、重厚な玄関ドアまでの距離感を鈍らせていた。

「誰も買い手がつかなくてねぇ」
 少しかすれた、甲高い男性の声が背後から飛んできた。
突然の声に驚いたのではなく、大きな体格とその声音が、見事にミスマッチしていたからだ。

 歳は六十前後だろうか…白髪混じりの髪は無造作に後ろへかき上げられ、ラウンド・フレームの奥から覗く視線は穏やかで、どことなく親しげに感じた。

 挨拶も適当に、体を大きく揺らして歩く管理人に導かれるまま、洋館の敷地へと足を踏み入れた。
十数年前までは、あんたのようなフリーランスの記者がよく来ていたと、管理人はわしづかみにした鍵束に目線を落としながら言った。

「どうりで…」
自分がその類の人間だとすぐに分かったのは、記者慣れしているのだろう。
そんなことを思いながら、玄関ドアに手間取る管理人をよそに、敷地をゆったりと見渡した。
南向きの玄関に傾く緩やかな日差しが、晩秋の午後を告げている。

 2015年の今年は、冷夏だった。
そして、11月の終わりにしては、北向きに変わろうとしている風が温かい。
この街では、早くも暖冬の気配を感じる。
黄金色の枯れ葉が、しゃらしゃらと足元を流れた。

 鍵束が音を立てた。
 なぜ今頃になって来たのかと、管理人は唐突に質問を投げてきたが、最近誰か来たかと、逆に質問を返していた。目的の部屋は二階にあったが、薄暗い廊下の突き当りにたどり着くまで、互いの質問に答えることなく進んだ。

 外観のイメージ通り、廊下の途中で口を開けている部屋はどれも広く、重厚な造りになっている。
調度品も、おそらくは特別に取り寄せたものに違いない。本当に何年も使っていなかったのかと思うほど、どれも保存状態がいい。
明りとりの窓は全て締め切られ、絨毯のような刺繍入りの分厚いカーテンが、外の光を遮っている。

 また鍵束が音を立てた。
キィと、微かな軋みをたてて部屋のドアが開いた。窓から僅かに差し込む光芒に、微細な埃が弱々しく光って見え隠れしている。

そこは、暗く静かで、どこか寂しげな少女の部屋だった。

2nd 【少女の招く部屋】終

3rd
【デジャヴ】2015.11.25 記者

 仲のいい、幼い姉妹がいたという。
妹が行方不明になり、姉も失踪した。
ほどなくして家族全員が忽然と消息を絶ったが、すぐに世間の興味は冷め、騒ぎはことのほか早くに収まった。
それから、無人になって20年以上経った今になって、室内で動く人影を見たという噂話が流れだした。
穏やかな口調で話す管理人の説明に、耳だけを傾けながら室内をゆっくりと見渡した。

 静かだった。
管理人の話し声がある以外は、何も聞こえない。妙に甲高いその声ですら、この空気を乱せない張り詰めたものがある。
そして不思議に、意識が研ぎ澄まされてゆく。

 これは…

 突然、ひどく打ちつけられたような痛みが、頭の中を駆け巡った!
その直後、今度は至近距離からフラッシュを浴びたような閃光が、視界を真っ白にして体をよろめかせた。

 何が起こったのか、全くわからなかった。
ただ管理人は、何もなかったかのように、まだ説明を続けていた。それが可笑しくさえ思えるほど、空間は不思議に落ち着いて見えた。
頭痛はすぐに治まったが、何も聞くことも、話すこともできなかった。

 そして、額の汗を隠すように拭って顔を上げ、視線を室内へ送った。
そっと、眼の動きだけで辺りを探ってみた。
すると、心もとなく差し込む陽光が、今なお可愛らしいぬいぐるみや本、家具を僅かに照らし出した。

…デジャヴ!

 自身の視界に戻った少女の部屋の光景は、驚くほど鮮明な既視感だった。
反射的に、過去の記憶を探ったが、なぜこの場所なのか、全く見当がつかない。
まして、いつ見た光景かなど、思い出すことはできなかった。

 デジャヴは、脳の“勘違い”で起こる現象だと理解していたつもりだった。しかし勘違いだけで、脳がここまで鮮明な光景を創り出すとは、到底思えない。
そして、デジャヴを予兆するかのような、突然の頭痛と白い閃光…あり得ない。

 自分は過去ここに来て、同じ景色を見ていたかもしれないと、半ば本気で考え始めたとき、 次は吐き気に襲われた。

ここには…何かいる⁉

3rd【デジャヴ】終

4th
【少女】
1990.12.1 主治医

 少女は七歳になった。
誕生日は12月だということだが、正確にはわからない。
ずっと部屋にいるのは、このエリアには珍しい積雪のせいではない。どの季節であっても、少女はいつも部屋にいた。
 そして、いつも独りだった。

 読み書きは主治医から習い、早くから絵日記を書くようにまでなった。そして、読書は少女の大切な自由時間になっていた。
 一日のうちで、母親と会話をするのは僅かで、寝食を共にすることは“許されていなかった”。
先天的な記憶障害により、主治医による集中治療を受けていたが、もうすでに3年が過ぎていた。

 少女は、過去を思い出せないままでいる。
少女は、自分が誰であるかもわかっていないだろう。
 しかし、それを知ろうとはしない。
なぜここにいて、なぜ独りで、なぜ部屋から出られないのか、自身から知ろうとは決してしない。
そうすれば、思考が暴走し、耐え難い治療を強いられることを、分かっているからである。

 まだ4歳のころは、そうでもなかった。
6歳になってから頻度が増え、7歳になる12月を迎えるころには、毎日のように発症するようになった。

“何かを思い出そうとしているというのか…暴走という危険を冒してまで”

 脳の発育と共に、過去の記憶が蘇ろうとしているのならば、それは少女の成長と共に身についた治癒力である。それはそれで、回復の兆しと言えた。
しかし、もし少女が自分の意志で何かを思い出そうとしているのなら、状況は極めて危険である。

 少女監禁の理由は、思考障害による突発的な危険行動を起こす恐れがあるとして、母親へは説明していた。
 しかし母親にとって、娘の監禁など、もうどうでもよくなっていた。
なぜなら、母親もまた、過去を失っているのである。

4th【少女】終

5th
【気がかり】
1991.4.2 主治医

 三日続きの雨もあがって、芽吹いて間もない庭の草木が、静かに頭をあげようとしている。
昼前までは、窓からの見慣れた風景に、強い雨が打ちつけていた。
 もう、3年になるだろうか。
少女が四歳になった頃から、主治医としてこの洋館を訪れるようになっていた。

 彼女のカルテに書き込んだ最初の所見内容は、記憶障害だった。
以後、細かな仕草や言動を記録に残し、時には実地的な試験を加えながら、症状の原因を探ってきたが、解明できない部分は多い。

 一般的に言われる“脳の発達”とは、シナプスの増加と、神経回路の広がりを指す。
シナプスは、三歳までは劇的に増加し、神経回路もそれに伴い拡大すると、たとえ幼児であっても 数週間の出来事を脳に記憶し、ストーリーとして呼び出すことができるようになるのである。

 しかし彼女は、記憶を呼び出すことが、上手く出来ずにいた。
脳が発達していないのではなく、記憶をたどる回路が複雑に絡み合ってしまい、出口を見つけ出せないでいるのである。

 時には、一週間前に初めて読んだ絵本の絵を思い出し、正確に描くような、そんな高い記憶力を見せたかと思えば、今朝の朝食のメニューが思い出せず、3日前のものを言ってみたりする。
ようやく見つけた出口でさえ間違えてしまうのである。
「障害」と文字だけでカルテに書き記したが、その裏にある、少女の高度な先天的知能に、その時気付くことができなかった。

 若いころは、脳への直接的な診療もおこなっていたが、外科手術を好まない性格を修正できず、記憶障害を持つ患者に特化した心療内科を専門にしていた。

 その後、少女の担当医になってからは外来も診なくなり、今では少女に限定した脳神経内科医として診療を行っている。
 そんなことを思いながら、手入れされた広大な庭を眺める視線を、室内のモニターへと戻し、ようやく意識を現在に引き戻すことができた。

 診察といっても、日中は少女の様子をモニター越しに見て過ごし、必要であれば、夕方に彼女達と話をして一日を終えるというものだった。
 往診と言えるほど大袈裟なものでもなく、そして緊急を要することは、今まで一度もなかった。

 しかしここにきて、少女に変化がみられるようになってきた。
“回復”ではなく、“気がかり”である。

 それは、少女が妹について、よく話をするようになったことと、一緒に遊ぶ時間が増えてきたことだ。
母親がしきりに少女を外に連れ出したいと訴えてくるのは、今に始まったことではなかったが、 さすがに7歳にもなれば、今の生活環境では、もう賄いきれなくなっているのだろう。

 3月終わりの暖かい日をあえて選び、
いくつかの条件を与えたうえで、外出の許可を出したのだった。

 少女は、はじめは躊躇した様子を見せていたが、次第に動きも軽やかになり始めた。
 海に近いこの公園は、いつも人が多く、この日も親子連れで賑わっていた。

彼女たちの姿は、その風景に自然に溶け込んでいる、ごく普通の家族そのものだった。

 母親が少し離れたところから、くまのぬいぐるみを小脇に抱えた少女を見守っている。
 ほとんど会話をすることはなかったが、条件の一つだった“一時間の外出”の間は、優しい母親の目になっていた。
かけ出す少女を見ては、時折立ち上がり、心配そうな仕草さえ見せた。
 そんな小さな反応ですら、カルテに書き残した。
少女だけでなく、母親の行動についても、そうしていた。

 幼少期の記憶など、どれほど重要になろうか…。
彼女の記憶なんて、この数十枚のカルテに過ぎないではないか。
 ならば、これから生きてゆく記憶こそが重要ではないのかと、ひどく無責任な意識を押し殺しながら、 我に返るように彼女達に視線を戻した。

 途端に、公園の喧騒が耳に戻ってきた。
父親と思しき男性が、こどもの笑顔を捕えようと一眼レフを構えているが、 あまりにも当たり前の風景だったせいか、その違和感に気付くこともなかった。

 時折、海風が土埃を巻き上げていたが、だれも気にはしていなかった。
はしゃぎ、笑い、走る。
子供はみな同じだと、心の声で呟いた。

5th【気がかり】終

6th
【ERIKA】
1991.4.15 主治医

 えりかは姉である少女の部屋でよく遊んだ。
部屋には、えりかも一緒に遊べるぬいぐるみや絵本もあり、仲良く分け合える姉妹だった。
 ときどき癇癪(かんしゃく)を起してしまう癖があり、姉と喧嘩をすることもしばしばあった。
しかし、四歳にしては姉思いで、姉が寂しそうにしているときは、必ず会いに来ていた。

 少女が嬉しそうに、えりかの話を母親にすることが多かった。
 部屋の中でかくれんぼをしたり、一緒に絵を描いたり。
自分の好きな本を、たどたどしくも読み聞かせてあげていると思えば、喧嘩もする。
 そんなことを、少女があまりにも嬉しそうに話すので、母親も優しくうなずき、いつまでも話をきいてやっていた。

いつも同じ内容のくり返しであっても、どれだけ長い時間であっても。

 暖冬明けの3月は、逆に気温が上昇せず、冷たい雨がよく降った。
 それでも、限られた晴天の暖かい日を見つけて、えりかと少女は初めての外出を果たした。
1時間という制限はあったが、海に近い公園でひとしきり遊ぶことができた。
 そして、4月も中ごろになって、ようやく春らしさを感じるようになった。
前日の夕方にやんだ雨は、小さな水たまりを残し、遠慮がちな午後の太陽光をゆらゆらと反射していた。

 約束の時間の少し前に、母親に帰宅するよう声をかけた。
 先に戻ることを告げると、母親はうなずいただけで、すぐまた少女に視線を戻した。
少し離れたところで、まだ少女がはしゃいでいる。
 小脇に抱えた茶色いくまのぬいぐるみが、ぐったりとしているように見えて、可笑しくも愛らしい。

 (1991.4.15 外出 統合失調症の疑い)


 一足先に洋館内にしつらえた医務室に戻り、カルテに一文を追加した。
 やはり気がかりでならなかった。
えりかの存在は、むしろ少女を困惑させているのではないだろうか?
 近く精密な検査が必要だが、これらの症状が、改善の兆候とは思えなかった。
いや、思いたくはなかった。

えりかの“存在”は、全てを破綻しかねない。

6th【ERIKA】終

7th
【日記】
1991.6.7 母親

 3月の終わりに、やっと外に出してあげられるようになった。
 先生は、温かい日を選んでくれたけど、当時は、まだ肌寒さを感じる日がほとんどだった。
それでも、あの子はとても喜んでくれた。

 母親として、その役割をどれだけできているのか、気になっていた。
でも、ほとんど外出させていないのなら、そもそもあの子の存在すら知らない人の方が多いのではと、責任逃れをしているような意識が先に立ち、自分が嫌になった。

 普段は、朝と夜に少しだけ、あの子と話す時間が設けられている。
15分という短い時間だったけど、時間が足らないということはほとんどなく、むしろ5分ほどで面会を終える日もあった。

 それは、あの子がお話をすることを嫌がったというわけではなく、その場を取り繕う苦しさに、 自分が耐えることができなかったから。
だから、外につれていきたかった…自分のためにも。
 そんなことも知らず、週に一度の外出を、あの子は本当に喜んでいた。

 6月に入り、雨の日が増えた。
遅い午前の時間帯に、あの子の部屋でお話しをした。
公園に行きたいと言っていたのに、今日も雨だったので残念そう。
 しかし、今日はえりかと一緒に遊ぶ日だから、午後になるのを楽しみにしているという。あどけなく笑う顔を見ていると、なぜか救われる気分にもなった。

 窓の外に目を向けた。
想像通りに、庭先の草花は青く際立っていたけど、雨音は室内まで聞こえてはこなかった。

 (クローゼットに落書きをしたり、カーテンでかくれんぼをしたり…。 最近は、脱衣所でお化粧ごっこも好きみたい…)

 一週間前の、自身が書き残した日記を読み返してみた。
 妹のえりかは、時々癇癪を起しては、あの子と喧嘩をするようだけど、 それ以外は、本当にいい子でいてくれる。
最近のあの子の表情を見ていると、えりかの存在の大きさを感じる。

 またあの子は、えりかも連れて公園に行きたいというだろうけど、もう少し待ってね。

来週には、雨もやむでしょうから。

7th【日記】終

このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

プロローグ 1st〜7th

"主治医"〜"母親"

あるジャーナリストとの出会い。蘇る不可解な記憶の数々。少女の部屋で見たデジャブや20年以上前の少女失踪事件は現実か、それとも幻想なのか...

Read More

8th~13th

"ベイエリアの洋館"〜"写真【母親】"

洋館の2階には、主治医に治療される少女がいた。そしてある日、少女は失踪した。血が付着した”くまのぬいぐるみ”の写真。少女は一体なぜ...

Read More

14th~19th

"The Skeleton Key I"〜"写真【Journalist】"

取材に訪れた少女の部屋で強烈なデジャヴを感じ、洋館から飛び出したジャーナリストのポケットにはスケルトン・キーが。金庫の中の古びた「手帳」には24年前の事件が記されていた...

Read More

20th~エピローグ

"正体"〜"再開"

ジャーナリストは誘拐されていた少女を救い、その後、少女は朝比奈院長の養子として暮らしていた。そして24年の月日がたったころ、再びあの時の記者が現れ、すべての真相が明らかに。

Read More

THE BLOOD FLOOD 本編

"Prologue"〜"THE BLOOD FLOOD"

ある日、医療センターの竣工記念に寄贈された絵画に美術学者は目を奪われる。不可思議な恐怖心に襲われながらも、絵画が秘める謎を解き明かすためアトリエを訪れるのだが…

Read More
HOTEL UNIVERSAL PORT VITA HORROR ROOM 2021
STORY Prologue 〜 7th