14th
【The Skeleton keyⅠ】2015.11.25 記者

 思わず、膝をついて目を閉じていた。
この部屋の中に、確かに別の“何か”を感じたのだ。
力なく床についた右手が、体を支える唯一の頼りだった。

 ただ息を整え、落ち着こうと思った。
しばらく治まりそうもない吐き気を我慢しながら、その“何か”の存在を確認したかった。

 目で見たものではないことは、確かだ。
突然の頭痛から、直後の閃光。
そして、更にこの“何か”を感じるまで、どれだけの時間がたったのだろうか。
 この洋館にまつわる管理人の話は、いつの間にか終わっていたが、静寂に包まれた室内に、今は管理人の気配以外、何も感じられない。

 閉じていた目をそっとあけてみれば、靄が晴れるように視界が戻ってきた。
汚れた絨毯の床が、思いのほか近くに感じた。そして同時に、頼りなく身体を支えていた右手の指先が、濡れた床を感じとった。

これは…!?

 はっとして、顔を上げた。
一気に解けた緊張が身体を跳ね返し、出窓まで駆けさせた。
 そして、いつの間にか力を取り戻した手が、分厚いカーテンを乱暴に引き開けた。
途端に強い日差しが差し込み、容赦なく少女の部屋を露わにした。

そこには、無数の小さな足跡が残されていた。

 * * * 

 近づく管理人に気づき、濡れた小さな足跡から顔を上げて彼を見た。
その表情は、場違いなほど落ち着いている。

いや、微笑んでさえいる。

 彼は、着古したジャケットの内ポケットから取り出したものを、無言で差し出した。
 それは、驚くほど冷たい、真鍮製のスケルトン・キーだった。

 手の中で、鈍い光を放つ古い鍵をしばらくみつめていた。何をどう聞き、話せばいいのか整理がつかないでいたからだ。不可解な体験や出来事が、あまりにも多く、そして一挙に起こった。
 しかし同時に、どう考えても正常とは思えないこの部屋に、不思議な興味すら覚えていた。
 そして、記者として自分がここに来た目的を思い直し、鍵から顔を上げた。

 管理人の姿は、なかった。

 背にしていた出窓から差し込む太陽光が、少女の部屋の中に自分の影を細長く残している。何気に振り返り、窓から外の荒れた庭を見下ろした。

 そこには、雨に濡れた少女が、こちらを見上げて立っていた。

外は、晴天だと言うのに。

14th【The Skeleton keyⅠ】終

15TH
【The Skeleton key Ⅱ】2015.11.25 記者

 逃げるように、洋館を飛び出した。
少女の部屋からテラコッタのピロティまで、何も考えずにただ走った。西に傾きかけた日差しが、容赦なく目の奥に突き刺さる。 肩で息をしながら、玄関ドアを振り返った。管理人の姿は、やはりない。

 少女の部屋であろう二階の窓を見上げ、そして広い庭に目線を落とした。
雨に濡れた少女の姿もどこにもなく、伸び茂った木々が、乾いた葉音をたてているだけだった。
すべてが幻覚だったのだろうか、この晴天以外は。

 自宅へ帰る道すがら、洋館での出来事をひとつひとつ思い返していた。
鈍い頭痛が残っていたが、目を閉じれば、洋館で視たデジャヴが鮮明によみがえってくる。少女の室内が映像となって、何度も頭の中に流れてくるのだ。

 自室がある古い安アパートの敷地まで、ふらつく脚で帰り着いた。強いめまいに襲われ、傍らに停められている、汚れた放置車のボンネットに手をついた。車体は茶色いサビと緑色の苔が生え、前輪のタイヤは空気がなく、後輪はホイールごとなくなっている80年式エステートボディの欧州車だ。

 なぜか、あの洋館のことを知っている。
現実か、それとも幻覚なのか、頭を抱えながら自室に倒れ込むように入った。

 脱衣所は、自前で写真現像用の暗室にあしらえてある。入口の薄っぺらな合板製のドアが閉まると、 居間ですら、暗室との境界がなくなるほど暗くなった。そしてしばらくの間、湿ったベッドに横たわり、天井を見つめた。

 自分は取材のためにあの場所を初めて訪れ、洋館内部へ案内された。そして少女の部屋に入ったとき、あの強烈なデジャヴによって本来の目的を失い、困惑に陥ってしまった。

 そもそも、デジャヴに神秘性を感じたり、霊的な感性を信じたりはしない。むしろ、記者として取材を数多く続けるなかで、類似性が強い場所や人物、事件や事故を見て既視感に陥ることは稀にある。それらは、脳の錯覚だと自分では理解している。

 しかし、あの部屋でみたデジャヴは、まるでそれらとは違っていた。あまりにも鮮明過ぎるのだ。

 取材による実証を信条としてきた自分が、無駄に時間を浪費していると、自身に警告している。 自分は、あの洋館を目にした瞬間から、重度の錯覚を起こしていた。

 過去に見聞きした別の建築物や室内の様子が、洋館と少女の部屋と重なり、あたかも実際に経験したことと思い込んだ。そして、管理人や雨に濡れた少女も、過去どこかで見た人物像が重なって幻覚となって表れたに違いない。
こんな鮮明なデジャヴも、珍しい…ただそれで、いいではないか。

 そう考えれば、鈍く残っていた頭痛が、徐々に治まり始めるのを感じた。

 自宅に帰り着いてからは、さほど時間はたっていなかったが、11月終わりにもなれば、さすがに日没が早い。陽は完全に落ち、室内をさらに深い暗闇へと引きずり込んだ。

 ベッドで横になったまま、傍らの本棚を眺めていた。古い専門書が乱雑に立てられているのが、暗闇にうっすらと見えている。反対側の壁には時計が掛けてあり、カーテンは閉め切ったままで、窓の隙間風を受けて微妙に揺れている。

 気が付けば、記者の道を歩んでいた。趣味の写真とは、関係ない。

 自宅の暗室は趣味で自作したものだが、結果的に仕事で使うことが多くなった。しかし、現像されずにフィルムに残されたままの写真は、数えきれない。

 ふと、暗室から漂ってくる酢酸臭で、我に返った。そして、気持ちが落ち着いたのを見計らい、ようやく湿ったベッドから上体を起こした。

 胸元で、異質な重力を感じたのは、その時だった。
おもむろに、着古したネイビー・ジャケットの内ポケットに手を入れてみた。

「…何故だ!?」
 手の中で、スケルトン・キーが鈍い光を放っていた。
管理人から受け取った、あの時と同じように。

15th【The Skeleton key Ⅱ】終

16th
【メッセージ】2015.11.25 記者

 幻覚では、なかったのか…。
手の平に冷たく納まる、真鍮製のアンティーク鍵を眺めながら、そう呟いた。
鍵は思いのほか重く、現実を伝えているようだ。

 そして、あの洋館で管理人から受け取った時の情景が甦る。またしても、あの不可解な世界へと連れ戻されてしまった。

 ラウンド・フレームの眼鏡をかけた、親しげな管理人のことを考えた。大きな体に似合わない声音で話す特徴的な人物だった。記者のことをよく知っているようで、あの時、初対面の自分を記者だと分かっていたようだった。

 幻覚でないというのなら、管理人も実在する。管理人を探し出せば、何か分かるかもしれない。
自分は記者だ。真実を、自らの手で探せばいい。そう決心して、勢いよくベッドから立ち上がった。

 鈍痛が消えた頭は、すぐさま冴え始めた。
そして、帰り着いた時に察知していた、室内の違和感の原因を探る。
自室兼暗室になっているこの部屋は、ベッドを置いている居間と、自作した洗面所の暗室がある。シャワー室はトイレと別で、暗室の奥にあった。当時、自宅に暗室を持つ写真愛好家は多く、自身もその一人だ。

 6戸が集合する古い様式の二階建てアパートで、錆びた鉄製の外部階段は、今にも抜け落ちそうになっている。住人は自分だけなのだろう。しばらく前から、他人の生活する気配がなくなっている。
そのせいか、昼間でも静かだ。

 部屋は一階であるにもかかわらず、天井には雨もりの時にできる染みが、褐色になって広がっている。
まるで、血でも流れたかのように壁を伝い、床の間際まで垂れ下がっている。そんな古く、くたびれた室内を見回した。

 よく見ると、部屋の隅に見覚えのない箱が置いてあることに気が付いた。金属製の小型金庫のようだ。
小さな鍵穴がこちらに向かって口を開けている。金庫の上には、薄っすらと埃が積もっていた。

 金庫から顔を上げ、室内をもう一度見渡してみたが、自分以外の人間がこの部屋に入り込んだ形跡はなさそうだ。キャビネットに散乱した撮影済の35mmフィルムや、脳や記憶障害についての専門書、重ね置きされた雑誌や新聞などが目に入っただけだった。

 違和感の原因は、この金庫の存在だと断定した。片膝をつくようにしゃがみ、ノックの手つきで前面の扉部分を軽く叩いてみた。見た目ほどの分厚さは感じないが、音の響きで、施錠されていると分かる。

 なぜか、気持ちがはやる。落ち着かせるように、キッチンのすりガラスに映る街灯の明かりに、一度視線を投げた。

 車の風切り音が、それぞれのテンポで行き交う。それ以外は、やはり静かだった。  迷いなく、手にしたままのスケルトン・キーを鉄製の小型金庫の鍵穴に差し込んでみた。すると、小さな金属音と共に、拍子抜けするほど抵抗なく鍵が回った。そして、金庫の扉が開いた。

 「…手帳?」
 古びた手帳だった。それ以外は、何もない。表紙に付着した褐色の汚れは、すぐに血痕だと分かった。 そっと、表紙を開いてみた。そして、数ページを繰ったところで、止めた。中のページにまで、血が付着し、赤黒い指紋さえも残っている。

 始まりのページに、スケジュール・カレンダーがあった。1991年8月26日で、スケジュールの記入が途絶えている。

「今から24年も前の…」
 なにか事件か事故があり、その事を書き残したように思える。そして手帳からは、なぜか悲壮感を感じてしまうほどの生々しい筆跡が窺える。それらが、重要なことを伝えようとしていると思わせて止まない。

 これが、どうしてここにあり、誰が置いたのかは分からない。しかしただ一つ、いま確実に言えることがある。それは、この手帳の持ち主が、自分と同じジャーナリストだということだ。

 そう思った瞬間、金庫の扉を閉めている風景が、頭の中をゆっくりと流れていった。
「また…」

デジャヴだ。しかし、前回のような閃光や頭痛はない。そして、もう驚くこともなかった。

 自分に、何かを知らせようとしている。自分と同じ、ジャーナリストの誰かが、何かをやれといっている。ジャーナリストの自分だからこそ、出来る何かを。

 再び、手にする手帳に視界が戻ってきた。間違いなくこの手帳は、持ち主の手でこの金庫に入れられたものだ。それだけではない。あの洋館の少女の部屋で見たデジャヴも、自分に何かを伝えるメッセージなのだと、信じてみてもいいかもしれない。

16th【メッセージ】終

17th
【救出】1991.7.15 ジャーナリスト

 雨の中、公園を抜けて帰路につこうとしたとき、子供の姿を見た。ぬいぐるみを抱えた女の子だ。不思議に思い、しばらく様子を見ていると、レインコートを着た奴が現れた。小柄だったが、ひと目で男だと気が付いた。それだけで、女の子の身の危険を察知するには十分だった。

 奴が走り出すと同時に、自分も駆け出した。雨の音が、お互いの足音をかき消している。

 奴が、女の子に向かって腕を振り下ろしたが、間一髪二人の間に割り込むことができた。僅か一歩でも遅れていれば、女の子の命はなかっただろう。

 しかし、奴は暗闇に姿を消した。体中に力が入らず、後を追うことができなかった。最後のぶつかり合いで、深手を負ってしまったのだ。

 どれくらいの時間かは分からないが、痛みを堪えながら、辺りに警戒の目を向け続けた。雨音の中に、女の子のすすり泣く声が響く。それ以外は、静まり返っている。

 ようやく、濡れた芝生についていた片膝をあげて立ち上がり、女の子の手をとった。そして、もう一方でカメラを拾い上げた。

女の子は、無事だった。雨に薄められながら滴る血は、自身のものだ。しかし、襲撃の恐怖で、声すら出せないほど怯えている。雨に濡れたせいか、つなぐ手の温もりから、発熱していることは明らかだった。

 急ぎ女の子を連れ、父から受け継いだ80年式エステートの欧州車まで戻ってきた。道中、追跡してくる者がいないか、あえて車を遠回りさせた。

 しばらく車を走らせながら、ルームミラーで後部座席に座る女の子の様子を窺った。やはり、昼間に洋館の2階の窓辺で見た少女に間違いない。

 痛みに耐えながら、何とか自室のアパートに戻った。すぐに少女を休ませてから、自身の傷の応急処置をした。

腕の切創に厚手のガーゼをあて、布製のベルトで縛り上げた。必死に意識を保ちながら、近くにあったタオルをかみしめた。そして、腹部に刺さっていた刃物を、一気に引き抜いた。

 出てきたのは、メスだった。刃渡りこそ2㎝もなかったが、ほぼ柄の先端まで体内に入り込んでいた。激痛に襲われ、うめき声を上げた。

「奴は…医者だったか」
 少女は傍らで、微かに寝息を立て始めた。

 当時から目星をつけていた洋館。直感は、当たっていたかも知れない。新聞社にいた頃から調べ続けている幼児失踪事件に関係するかは、今の段階では全く分からないが、おおよそ、逃げ出した少女を奴が追いかけてきたというところか。であれば、追ってきたのは、往診に来るあの医者であり誘拐犯という可能性が出てくる。

 何れにしても、自身の方が致命傷を受けていることは間違いない。奴は、また現れる。少女を殺そうとしたことには、それなりの理由があるはずだ。だから、間違いなく現れる。

 この安アパートでは、少女の身を隠すには少し心もとない。そう思いながら、床に転がるウィスキーのボトルに手を伸ばした。腹部の出血は未だ止まってはいないが、長かった一日が、ようやく終わろうとしている。

17th【救出】終

18th
【雷鳴】1991.7.16 朝比奈院長

 昨夜に続き、今夜も雨だった。
夕方からの雷鳴が、少し近くなったような気がする。最後の患者の診察を終えるころには、雨足が強まりはじめ、時々窓の外が昼間のような明るさで瞬く。少ない明かりを頼りにカルテの整理をし、明日の診療の予定を見ていた。気がつけば、もう22時を過ぎていた。

 最初は、雨か風の音と思っていた。最近、診療所の正面入口の扉が、ガタついていることは知っていた。時々雷鳴にかき消されてはいたが、しばらくその物音は続いた。

 事務作業も終わり、ようやく今日一日が終わった。手元だけを照らすデスクスタンドを消したとき、正面入口に人影があることに気が付いた。暗闇に立つ大人と、手を引かれた子どもの影だと、すりガラス越しでもすぐにわかった。

激しさを増した稲妻が、二人の影を黒くフリックさせている。
そして物音は、ガタついた扉をたたく音だとわかった。

「どうしたのですか!?」
 院長の朝比奈は、玄関のドアを開けて言った。雨が、足元に吹き込んでくる。

うつむいた青年が、少女の手をひいて立っていた。二人とも雨に打たれ、少女の長い髪から、雨水がしたたり落ちている。同時に、朝比奈は血の匂いを嗅ぎ取っていた。
「とにかく、入りなさい」

 朝比奈はバスタオルと毛布を取り出し、二人に手渡した。青年が少女の髪を拭き始めた。
「何か、あったのですね?」
「公園で、襲われた」

 物静かな青年の印象だった。少女に毛布を掛けながら、言葉短くいった。血の匂いは、この男からのものだ。

「警察には…」
「通報していない。追撃を恐れ、そのまま逃げてきた…昨夜のことだ」
「今からでも、遅くはありません」
朝比奈は、落ち着いた口調でいった。手早く、外科治療用のハサミやガーゼ、消毒液などをキャビネットからかき集めた。

「通報は、そのうち自分でやる。その前に、この子を匿ってやってほしい。おそらくこの子は、4年前に失踪した子だ」
 やっと青年と目があった。怯えてはいないが、顔に血の気がない。
「本当なのですか!?」
「自分はフリーのジャーナリスト。ずっと幼児失踪事件を追っていた。そこで、偶然にこの子を発見した…いま警察が動けば、犯人は必ず消える…もう少しで…掴める」
自身をジャーナリストだといった青年は、せき込みながら続けた。

「自分は、必ず…戻る。それまでの…間、頼む」
「…あなたは怪我をしている。そうではありませんか?その顔を見れば、出血のひどさがわかります」

 朝比奈は、なだめるように言った。

「先生、恐らくこの子は、記憶を失っている。だから…診てやってほしい。」
「…すぐに処置室の準備をします。ですが、あなたの方が先です」
 そういって、朝比奈は処置室へ姿を消した。

 「いいかい?いつか、必ずもどる。それまでは、先生が…診てくれる」
 少女は不安そうな顔で、話しを聞いている。
「今まで一緒にいた先生が…来るかもしれない。でも、ここの先生のそばにいなさい」
 涙をうかべながら、少女はうなずいた。
「もしもまた会えたら、この鍵を…渡してほしいな」
 言いながら、カメラを少女に手渡した。

 朝比奈が戻ると、既に青年はいなくなっていた。
少女は毛布を被り、暗闇と雨音に包まれていく青年を、扉のすりガラス越しに見送った。

 青白い小さな手が、重そうなカメラを抱きかかえている。ストラップにぶら下がるスケルトン・キーの先端から、雨のしずくが一滴おちた。変形したレンズ・フードと、割れたプロテクト・フィルターの理由は、朝比奈には分からなかった。
「彼は…」
「また会えるって…24年後に」

18th【雷鳴】終

19th
【写真】1991.8.25
ジャーナリスト

 救出した少女を朝比奈診療所へ預けてから、1カ月以上が過ぎた。時間がほとんど残されていないと、自分ではわかっている。しかし、調査を止めるわけにはいかなかった。あとわずかのピースが揃えば、一連の犯行を明らかにできる。そして、奴を明るみに晒すことができる。

「もう少し…もってくれ」
 放置したままの傷に、当時の痛みが蘇ってきた。傷口からではなく体内から発するその痛みが、命の終焉を告げている。

 少女を襲撃した奴は、医者だ。そして、奴は、あの洋館に出入りする医者に、間違いない。これら二人を同一人物とみて、まず間違いないだろう。しかし自分ほどに、奴に致命傷は与えられていないだろう。少女を朝比奈に預けておいたのは、正解だ。きっと奴の動きは、早い。

 少女を救出してからは、その洋館の医者を中心に調査を続けている。

4年前に起きた未解決の女児失踪事件と、今年4月の事件が同一犯という可能性は、今のところまだ見えていない。しかし、4月に誘拐されたのは男の子だ。ということは、あるとすれば4年前の失踪事件の可能性だ。

失踪当時は3歳だった。失踪してから4年が経つということは、生きていればあの少女の年頃だ。そして、それが誘拐事件だったとしたら、あの洋館の医者が、極めて怪しい。この4年間、あの洋館に監禁されていたとしたら…。

 集めた情報や証拠は、巧みに隠した。もしもまた襲撃を受けたとしても、情報は絶対に渡せない。何が何でも、暴き抜く。そして、少女を守り抜く…ジャーナリストの名に懸けて。それにはあと一つ、奴と洋館の医者を結び付ける証拠がほしい。小さな断片でもいい…もう、時間がないのだ。

 1週間程前に、無人の洋館に忍び込んだ。近くの住民には、自分は庭師にしか見えなかっただろう。

 洋館内には、医務室がしつらえてあった。なかには、診察や治療について記されたカルテ、書きかけの処方箋、脳に関する医学書などがあった。これらを見る限りでは、脳外科医と推測できる。しかし、何かの研究についての手記や論文が、それ以上に多く目についた。

 傍らには滅菌キャビネットが置かれ、青い照明が内部を照らしている。刃渡りの違うメスが、短い方から順に7本、並べられているのが見える。その左から3番目の列が、空いていた。

 その他にも、治療用器具や薬品を収めるキャビネットがならぶ。よく分からない電気装置から、先端に吸盤がついた何本ものコードが延び、幅の狭い診察台の上に垂れ下がっている。

 木製の大きなデスクには、パソコンと並んで、別のモニターがもう一台置いてあった。待機状態を示す赤いパイロットランプが、点滅している。

 軍手をしたままの手で、そのモニターの電源を入れてみた。数秒経って、誰もいない部屋の内部が映し出された。

 医者は、往診でこの洋館を訪れていると、母親と思しき女性住人がいっていたが、これまで患者がだれなのか分からなかった。しかし、洋館の窓辺に女の子の存在を認めたとき、彼女が患者だと直感で分かった。

 モニターに映るライブ映像をよく見ると、画面の左上の隅に映るデスクの上に、ぬいぐるみや絵本が置かれている。明らかに子供部屋とわかる。あの子を監視していたことは、間違いない。目に付くものは、シングルユース・カメラに収め、持ち帰った。

 そして今日は、捜査官らしい衣装を身に着け、呼び出しのベルを鳴らした。洋館への訪問は、幼児失踪事件の調査を始めてから、もう数えきれない。

 念のため、偽造した警察手帳を内ポケットに入れてある。間を置かず開いた鉄門をくぐり、担当捜査官だと偽って洋館に入った。
 奴は、まだいないようだった。女性住人に、女の子の母親かと確認すれば、目を見開きながら小さくうなずいた。そしてその母親に、あの子が持っていたぬいぐるみの写真を見せた。

 やはり、この洋館にいた女の子に、間違いなかった。その場で泣き崩れる母親の姿が、それを証明している。そうしているうちに、医師がやってきた。ここ1週間ほどは洋館に来てはいなかったが、今日現れることは予測していた。

 ようやく医者との対面を果たした。遠くから見たときより、近くで見る方が不思議に小柄に見えた。
医者は玄関から入ってくると、そのままタイル・リビングまでやって来て、母親の隣に座った。

 ここに来た一番の目的は、この男と会うことだった。挨拶代わりのように、母親の主治医だと自らが言った。軽くうなずき返しながら、額の左側上部に、まだ新しい縫合傷の跡を見つけた。
そして、主治医にも写真を見せた。彼の反応こそ本題である。

 しかし主治医は、血が付着したくまのぬいぐるみが映る写真には、一瞥をくれただけだった。そのあと捜査の進展を聞かれたが、首を横に振るだけがやっとだった。主治医は母親の看病を理由に、退出を促してきた。そしてこれが、洋館への最後の訪問となった。

19th【写真】終

このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

プロローグ 1st〜7th

"主治医"〜"母親"

あるジャーナリストとの出会い。蘇る不可解な記憶の数々。少女の部屋で見たデジャブや20年以上前の少女失踪事件は現実か、それとも幻想なのか...

Read More

8th~13th

"ベイエリアの洋館"〜"写真【母親】"

洋館の2階には、主治医に治療される少女がいた。そしてある日、少女は失踪した。血が付着した”くまのぬいぐるみ”の写真。少女は一体なぜ...

Read More

14th~19th

"The Skeleton Key I"〜"写真【Journalist】"

取材に訪れた少女の部屋で強烈なデジャヴを感じ、洋館から飛び出したジャーナリストのポケットにはスケルトン・キーが。金庫の中の古びた「手帳」には24年前の事件が記されていた...

Read More

20th~エピローグ

"正体"〜"再開"

ジャーナリストは誘拐されていた少女を救い、その後、少女は朝比奈院長の養子として暮らしていた。そして24年の月日がたったころ、再びあの時の記者が現れ、すべての真相が明らかに。

Read More

THE BLOOD FLOOD 本編

"Prologue"〜"THE BLOOD FLOOD"

ある日、医療センターの竣工記念に寄贈された絵画に美術学者は目を奪われる。不可思議な恐怖心に襲われながらも、絵画が秘める謎を解き明かすためアトリエを訪れるのだが…

Read More
HOTEL UNIVERSAL PORT VITA HORROR ROOM 2021
STORY 14th 〜 19th